ネームリーディング

Pさまのネームリーディング

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自分の価値観、道徳観、生きる指針など、古きを捨て、新しきを受け入れる、そういう時期になってきています。

緊張感は、自分はこうであらねばならない、こうふるまわなければならないという、他人から見て自分がどう見えるか?が基準となっていると起きやすいです。常に周りの目を気にして自分の振る舞いやあり方をみてしまうので、なかなか自然体の自分を許せないのですね。

子供の頃からその傾向はあったかと思いますが、昔はもう少し気楽に構えておられたのではないでしょうか?
ご結婚され、嫁として母として妻としてちゃんとできるようにと気を張ってこられたのかもしれません。

実家の親が悪くいわれることのないように、夫が悪くいわれることのないように、近所から悪く言われることがないように、子供がりっぱに育つように、とがんばってこられたのでしょう。

今また変化の時期がきているようで、もうその時期は終わっていいから、元の自分に戻りましょう~という流れのようです。

みんなのためによくやってきましたね。
がんばってきましたね。
ありがとう。本当にあなたのおかげで助かりました。
たくさんの人々が救われました。

でももう人のために生きるのはいいから、
もう自分のために残りの人生を生きましょう。
他の人のためにはもう十分尽くしました。
これからは自分のために生きていきましょう。

という感じです。

長年、他者のために生きてきた(といってもそれもまた自分のためですが)状態から、さあ、自分のために生きましょうといわれても、何がしたいかわからないとか、そうすぐに今まで培ってきた価値観などを変えられないと思われるかもしれません。

それはそうでしょう。

でも自分を変えていくのではなく、もともとの状態に戻っていくんです。
「こうであらねばならない」「こうすべき」という思いを少しずつ手放していく作業です。

私たちはほとんど無意識に自分を抑えつけて、周りに合わせようとしたり、自分を犠牲にしています。

それに気づかなければ、気づかないままです。

呼吸をしていることに気づかなくても、私たちは呼吸をしています。
毎日していることはほとんど無意識に行動します。

いつもトイレのスリッパを揃える人は、くせのように意識せずにしています。
お風呂に入ってからだの各所を洗う順番も毎日決まっているでしょうが、無意識で同じことをしています。

思考の中でも同じことが起こっています。気づかずに、意識せずに、こういうもんだと思って過ごしていますので、自分が作っているルールになかなか気づけません。

そのようなことに気づいていくことで、自分はこのようにふるまっていた、考えていた、それがどのような影響を起こしていたか?がわかります。

気づくことができると、それをそのまま続けたいか、変えていきたいか、選択することができます。

今まで周りの人たちのことを考え、その人たちのためにいろいろと気を使ったりお世話をしたりされてこられたようです。

それはそのまま続けられていいのですが、もっと自由になり、自分らしくなったうえでそれをすると、自分らしさを活かしながら人々にも喜ばれる状態になっていけますので、今よりもさらにありがたくうれしい状態になれます。

自分らしく自分の好きにすることで、他者も喜び、幸せになるのですから、そこには自己犠牲も義務感もなければ、大義名分もなく、ただ自分らしさを楽しんでいる状態があるだけです。

「なんとなくこうなのさ~」というゆるみや遊びの要素を取り入れるようにするといいでしょう。ただ好きだから楽しいからやってみる、ぐらいの理由で物事に取り組んでみるのも良いです。

それが役に立つとか将来的にどうとか関係なく、無駄なことをすることを自分に許可してみてください。
「無駄なこと」は「理性が無駄であると判断すること」です。

例えば、「空がきれいだからぶらぶらと散歩したい」と思っても、理性は「今日はあれとこれをしないといけないから、そんなことで時間をつぶしている余裕はない」とささやきます。

でもそこで理性の声を横において、ハートに従って動くことを選択してほしいのです。最初は一日一回ぐらいでもいいです。ちょっとずつ「無駄」をすることを自分に許していってみてください。

ただぼうーっとすることは、何もしていないようで、自分の頭を休めています。そうすることで、その後、ものすごいひらめきが起きて、猛スビードで物事が進んでいくこともあります。

自分を把握範囲内に置くのをやめて解き放つ、、、つまり、自分の想定外のことをもっと受け入れて自然な流れを楽しむようにしていくと良いです。

計画のあまりない行き当たりばったりの旅行みたいなものですね。
大まかな予定だけたてて、あとは現地での流れにまかすみたいな。

そういうアバウトな感覚を楽しむようにされると良いです。

となると、自分のなかのルール「ねばならない」は適応しづらくなります。それを手放すのは不安になるでしょうが、もともとそんなものはなかったのです。自分が育ちの過程で身につけた鎧みたいなもので、こうでないといけないと思い込んでいるだけです。

これからはそれを取り外していく作業をされるといいでしょう。
そうするとこんなにも自由だったのかとだんだんと気づいていかれると思います。

それは自分を解放していく作業です。

こうでもいいんだ、これをしても大丈夫なんだと、どんどんと自分を制していたことから自分を解き放ち、許可を与えていくと、どれほど自分が自分に制約をつけていたかがわかってくると思います。

ずっと首輪をつけていたとしたら、それが外れると最初は不安になります。でもその状態に慣れていくと、なんだ、大丈夫なんだと自由な状態の自分に気づいていきます。

子供象の足をロープで結んでつなぎ止めて育てると、成長してそのロープをはずしてもその範囲内以上には行かないそうです。なぜならずっとロープが結ばれていてそれ以上は進めなかったので、自分はそれ以上はいけないと思い込んでいるからです。ロープから解き放たれても、それ以上進めるとは思っていないので進もうとしないのです。

そんな感じで私たちは自分たちの可能性を制限しています。

これからはどんどんと自分が自分に課している制限に気づいて解き放っていってください。
自分の中の「・・ねばならない」「・・であるべき」に気づいたら、遠慮なく捨ててください。

自分が今、自分に課しているそのような制約を解き放ってもっと自由な自分になったとしても、多分、現状はそう今の生活と変わらないと思います。毎日の景色はほとんど同じだけど、自分自身がもっと素直に自然体でそれを楽しめる状態になっていることになります。

それができてくると、おもしろいほどに「全く変わらないけどすべてが変わっている」という状態になります。

何も変わっちゃいないようで、全く違う世界にいるような感覚です。

それは内的な変化が起きた証拠です。

外の出来事に気をとられていてはそうはなりません。
内面にある、もう必要のない思いをドンドンと取り除いていってください。

それは先ほど書きましたように、「ねばならない」「すべき」と自分が思い込んでいることに気づき、手放す作業です。

静かな湖のように清廉とした状態になれば、外の事象には振り回されなくなり、静かに自分の中心に座すことができます。そうなった時に、自分の中にある凛とした気質に気づかれることでしょう。

自分を卑下するのではなく、尊厳をもって自分に接することが、自分をどのように高めてくれるのかがわかってこられると思います。

一足飛びにそこに行ければ一番いいですが、なかなかそうはいかないようです。
でもその方向に向かって地道に進んでいると、ある日突然飛躍することになると思います。

宇宙はよくできたものです。

そのためにも、自分を下げることは極力避け、日々「私は素晴らしい!この人生は最高だ!」と思って過ごしてみてください。

(掲載許可はいただいています)(pmb130222)

ネームリーディングについてはこちらをご覧ください。

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