ネームリーディング

Hさまのネームリーディング

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Hさまのネームリーディングです。(掲載許可はいただいています)
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自分が信じることができる対象を求めているところがあります。
真実を求めるがゆえに宗教に傾倒することもあるかもしれません。

キリスト様に絶対の忠誠を誓っている人がいますが、そのような感じで、何かの対象に忠誠を捧げたいという思いがあるようです。忠誠というか、何かに身を捧げて師事したいという願望だと思います。

その「何か」とは自分が信じることができるもの。
それは宗教者に限らず、会社の上司や尊敬する人、恋愛対象者などいろいろです。
人でなければ、仕事に対してそのような作用が働くかもしれません。

宗教に入っていなくても、信仰心が強い、あるいは信じることができるものを求めるという意味で宗教的かと思います。

自分が主体となって何かを行なっていくというよりは、誰か/何かに師事することで自分の幸せが満たされると思っておられるような感じがあります。

自分がしたいことを見つけてそれをかたちにしていくというより、誰か尊敬できる人の夢を叶えるために自分も一生懸命にそれに協力するかたちを好まれるようです。尊敬できる人や自分が望む世界を実現してくれそうな人の夢やミッションに協力することが自分の夢という感じです。

そのことを認識してしまえば、人との出会いにもそのような意味づけがなされ、目的も達成しやすくなりますが、それに気づかないとどうもぎくしゃくしてしまいがちです。

自分は共感して応援したいと思うのですが、それが過剰になったり、相手が自分の才能に気がついていなかったりすると、応援されてもピンと来ず、話が噛み合なくなってしまいます。

過剰な期待は、反対に劣等感を強めることもあります。
他の人を応援することはいいことなのですが、「この人なら」と自分の期待を押しつけるかたちになってしまうと相手は負担に感じることがあります。自分はそのように期待される存在ではないと反発してしまうかもしれません。

相手の本質を見抜き、相手の中にある才能を見据えて相手を応援すると、その人はだんだんと「自分はできるんだ」と思うようになっていきます。

しかし自分の中にある理想像を相手に見て、そのように期待してしまうと、それは相手の可能性ではなく、あなたの心の投影となります。その場合、相手は本当の自分を見てもらえてないと感じ、居心地が悪くなって苛立ってしまうでしょう。

これは人のことを言っているようで、結局は自分が自分をいかに見ているか?というところの話になります。

自分自身に潜む可能性を見る場合と、自分の中にある理想像を見る場合とは違います。(本来、理想像は自分自身の本質を活かして生きている姿だとは思いますが)

前者は自分の中にあるもの(希望,可能性)を見ていて、後者は今の自分とのギャップとして見てしまいます。

『もともと自分はそうだから/それがあると知る』というあり方と、『今の自分はそうではないからもっと良くならなければとがんばるあり方』とは根本が全然違います。

自分が自分を見ているのと同じように、人のことも見てしまいます。


自分の評価基準が必ずしも人のそれと同じとは限りませんので、人それぞれいろんな対応の仕方があると思ってください。自分の基準にあわないとイライラとしがちですが、多種多様性を認めるようにして柔軟に対応していってください。

真理はひとつではないのです。真理は流動的に常に移り変わり、変化していっています。その中で目には見えなくても形や定まりはなくても真実なるものがあり、それはまたそれぞれの人にとっては違う形や現れです。

他者にそれを求めたとしても、自分の中にあるものを他者に見ています。自分の中のそれと自分自身が一致しない限りは、外の世界においても完璧という存在はあり得ません。

理想を追い求めると、なかなかそうなれなくてストレスになってしまうことがあります。あまり神経質になりすぎないことです。

先ほど、尊敬できる人に師事したい願望について書きましたが、これは相手の言うことを聞くということではなく、相手の夢を叶えるために自分も協力していくというもので、右に倣えというものではありません。

先ほどの宗教の例もそうですが、ある政治家を応援するとか、なにかしら大きな志しをもった人を応援したい思いがあるように思います。

信じてもまたいずれ期待を裏切られるという思いもあるかもしれませんが、それでもまた期待をしてしまうのでしょう。

これも前述しましたが、自分のあり方と深く関係しています。

自分が求めているものはなんなのか?
その答えは自分の中にあります。

他者にそれを見て、今度こそ、と思ったとしても、他者は自分の鏡、自分がどこまで自分を受け入れることができるか?にかかっていると思います。

それは、自分のいいところだけでなく、しょうもないところ、だめなところ、きらいなところなど、自分にとってマイナスと思えるところをいかに受け入れられるか?というところにかかっています。

信じては裏切られ、があると、また傷つきたくないので人との関わりに距離を置くようになります。そんな中でもまた「今度こそは」という期待をもってしまい、同じような体験をしてしまいます。

これが期待ではなく、希望であれば、自分のことなので、自分が何を信じているのか?その人を通して何を見ているのか?何を求めているのか?をみていけばいいですが、期待であれば、自分がその人に望むことであり、他依存になってしまいます。

その人がきっと叶えてくれる,実現してくれるという思いです。その時点で、自分にはできないから、という思いがあり、他に過剰に期待してしまうかもしれません。

人から見たら理想論者、完璧主義に見えるかもしれません。理想を追い求めるのも大事ですが、今ここにある現実をそのまま受け入れること、それもまた大事です。

その地点に立てた時、自分は夢を叶えられないと思っていたけれど、本当はずっと叶えてきたのだ、ただそれは理想論での話ではないかもしれません。

今一度、自分が本当に望んでいるのもはなになのか?見てみるとよいと思います。

他者に実現してもらわなくても、自分でできること。
それが誰かを応援することであればそれもまた良し。

その時に必ず自分の何かを投影していますので、それに気づけば、他者を通さなくても、自分自身の中で昇華できることなのだと気づかれるでしょう。投影がなくなってしまえば、過度に期待することもありませんので、お互いに重くならず、それこそ適度な距離感を持つことができると思います。

恋愛や親子関係においても同じです。
「あなたはもっとできるはず」という過度な期待が(それはそのまま「私はもっとできるはず」という思いの裏返しですが)相手に向かい、反対に、それができてないことを強調するようになってしまい、相手は劣等感を感じてしまう。

自分は期待しているつもりが、相手は重荷や批判と感じてしまう。
結局は、自分が自分に対してそうしているので、他者にもそのようにしてしまうのです。

なので、自分が自分に「もっとできる」と面と向かって言うか、できていない自分に直面してそれを素直に認めて受け入れるか、をするといいです。
自分に対してそれをしない限りは、他者にそのように対応してしまいます。

自分のすごさを認めるか、自分のダメさを認めるか、、、。

ふたつは真逆のようで、実は同じことなのかもしれません。
どちらにしろ、どんな自分でもOKなんだよという話で。

どんな自分でもOKなら、他者に対してもどんな風な人でもOKなわけなので、期待を裏切られたと感じることもないわけです。

簡単に言えば、「あるがままの自分を受け入れる」ということが今回のリーディングの主なるテーマのようです。

どんな自分であってもそれを自分に許すこと。

それを心がけてみてください。

自分を裁かないことです。
あなたはあなたのままでいいのですから、あえて罪や罪悪感を感じる必要もないですし、自分を罰する必要もありません。なにかに一心に身を捧げたい思いというのは贖罪の意味もあるのかもしれませんが、その必要はないですから、どうぞ自由になってください。

自由になるのは最初は居心地が悪いと思います。なにかをしなくては、という思いにかられるでしょうが、何もしないことに甘んじていると、だんだんとなにものにも寄りかからない自分に慣れてきます。

そうなったとき、何者でもない、なんにもしていな自分でもいいんだと、ただの自分に許可を与えることができます。

その時初めて、許される感覚を得られるかもしれません。
それは自分がずっと待ち望んでいたものですが、人のために尽くすことでそれが得られるのではなく、自分自身が自由になることを許すことで初めて得られるものです。

そのためにはもう不必要になったいろんなしがらみを手放していき、何ごとも裁かないことが大事だと思います。

裁くというのは、いい悪いの価値判断をしないということです。
いいも悪いもそれぞれの人の価値判断なので、基準はバラバラです。

この世のすべてはあるべくしてありますから、あってはいけないものなど本当はないのです。
それをああだこうだと判断するのは人間の理屈です。

裁いている自分を見つけたらストップして、どちらもあっていいんだという視点に立つようにしてみてください。そうやって物事を観ていくと、今まで気づかなかったこの世の仕組みが見えてくると思います。


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ご本人から感想をいただきました。
 ↓
ネームリーディング、ありがとうございました。いろいろいただいた言葉を繰り返し読んでいるうちに、いらいらしたり、怒ったりということが、随分少なくなってきた自分に気がつきました。小さい幸せがいっぱいあります。悦月さんを教えてくれた友人と、悦月さんに感謝です。

(pmb131019)

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